札幌地方裁判所 昭和43年(わ)742号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔主文〕<前略>公訴事実中、同被告人が単独で昭和四一年二月ないし三月ころ竜方竜一から現金一八〇万円を喝取したとの点について、同被告人は無罪。<後略>
〔判決理由〕(被告人ら三名と被害者竜方との関係など)
被告人小林邦子は農家の出身で、昭和二八年頃一度結婚したが生活苦のため同三六年頃から岩見沢市内のバーに勤めに出るようになり、そのころ勤先のバーに客として出入りしていた相被告人中西澄雄や被害者竜方竜一と知り合つた。その後、同人らとの間に肉体関係をもつまでになり、中西との関係はその後もしばらく続き、その都度代価を得て生活費に充てるという生活をしていた。ところが被告人小林は、同三八年、前の主人と離婚し、これと前後して札幌市内にある中西所有のアパートに移り住み以後同被告人の世話を受ける関係となつた。そして間もなく被告人中西から約一〇〇万円位の資金を出してもらい、同市南五条西三丁目北海道振興ビル(フードセンター)地下にバー「泉」を開店しその経営をはじめた。ところが開店してはみたものの軌道にのらず依然資金に不足を生じ、その捻出方を被告人中西に頼んでみたが、同被告人からはそれ以上には資金を出してもらうことができず、そのため前記のとおりバー開店前からすでに知り合っていた竜方が「泉」に来るような機会を利用して同人にも資金援助を頼みこみ、昭和四〇年初頃からは同人からの援助をも受けることとなつた。ところがこうした関係から被告人小林が竜方と泊り歩いたりしていたことを被告人中西が知るに及び、同被告人は小林との関係を清算することとし、同時に小林にバーの開店費用などとしてつぎこんでいた資金分だけは肩代りして払つてもらいたいとの談判を竜方に対して行ない、結局同人から現金一八〇万円を払つてもらうことができたため、同四一年二月頃以後は被告人中西と同小林との間のいわゆる二号関係は解消されることとなつた。そして以後しばらくの間は被告人小林と竜方との間の親密な関係が続き、その間竜方は小林から依頼される都度一回に三〇万円くらいから多い時は三〇〇万円位いの金額の範囲内で「泉」の経営資金を小林に出してやり、また小林のパトロンとして「泉」にもあるいは小林の私室にも頻繁に出入りしていた。ところで被告人小林はこのよう竜方から資金援助を受け同人と関係をもちながらも、他方ではすでに同四一年頃から将来の再婚の相手としてバー「泉」に客として来る会社員小林利郎とも懇意にし、やがて結婚の約束もして同四二年一一月八日には婚姻の届出をもすませる状態にまで進んでいた関係上、その頃には竜方を避ける態度が目立つてきたことに同人も気付き、二人の間も勢い疎遠になつていつたが、そのことは反面では同女にとつて資金援助の道を断つ結果となり、「泉」の経営はますます苦しくなつていつた。ところで同四三年に入つてからは、遠からず被告人小林が主人利郎の転勤に伴つて室蘭市に移り住む見込みでもあり、そのため早晩店を他に売却して「泉」の経営をやめるほかないことの見込まれる状態となつていたが、バーの性質上売却するまでは営業を続けておく必要があり、さりとて資金には窮し、また店舗の家主である北海道振興株式会社からは、同会社の営業部長である相被告人橋本昼を通じ、未払家賃の支払いを請求されていたため、それやこれやで店舗売却までの間にもかなりまとまつた資金を必要とし、その捻出方法を被告人小林はあれこれ思いめぐらすに至つた。その頃被告人中西は札幌市内で不動産業を営んでいたが、同小林との間の前記の関係が切れてからのちも小林が「泉」で使う酒類の仕入についてはその世話をしてやり保証人になつてやっていた関係だけは残つており、仕入先に対して小林が払うべき酒代の代払をしてやつた立替金などについて同女から返済してもらわねばならないものがあつた。また被告人橋本にとつては、小林から支払のとどこおりがちだつた店舗の賃料その他を早く回収することが当面の問題となつており、そのためそれまでにも支払に困つた小林が竜方から資金援助を受けて払うと言つたような場合には竜方に直接会つて援助してくれるのかどうかを自ら確かめる態度に出たこともあり、その結果竜方が代つて支払つてくれた機会には同人の利益になるような話をも折りこんだりして何かと竜方の相談にも乗る様子を示していたため、小林からバー経営上の相談を持ちこまれるだけでなく、雑穀商を手広く営んでいるが水商売の実状にはうとい竜方からも亦何かと頼りにされる間柄になつていた。
(罪となるべき事実)<略>
(無罪の理由―被告人中西が単独で恐喝したとの事実)
一、被告人中西に対する公訴事実のうち、同被告人が単独で恐喝をしたとの事実の要旨はつぎのとおりである。
「被告人中西澄雄は、で、竜方竜一(当五一年)被告人小林邦子と肉体関係をもつたことに因縁をつけ金員を喝取しようと企て、昭和四一年二月下旬ころおよび同年三月五日ころ竜方を夕張郡由仁町三川バー「いこい」に呼び出し、同人に対し、「内海は俺の女だ。あんたは俺の女をとつたんだ。内海には一八〇万円も出して店をやらせているんだからその金を返せ。金を出さなければ出るところへ出ても取つてやる。裁判になつたら内海のことが表に出るよ。そうなつてもいいのか。」などと申し向け、もしこの要求に応じないときには同人の名誉、信用にいかなる危害を加えるかも知れない気勢を示して脅迫し、同人を畏怖させ、よつて同年三月九日ころ同郡由仁町商工会館において右竜方より現金一八〇万円の交付を受けて喝取した。」というのである。
ところで、被告人中西の当公判廷における供述、証人竜方の当公判廷における証言などによると、右公訴事実記載の日時ころ被告人中西は竜方が小林邦子と定山渓温泉に外泊した事実を指摘して同人に認めさせ、同女は以前から中西が世話をし資金を出してバーの経営をさせている女であるのにそのことを竜方が知りながら同女をとつたのだから同女に対し中西が出してやつている一八〇万円を竜方において肩代りにして払つてもらいたいとの交渉をしたこと、その交渉態度などについてはとくに強い語調等によるなど脅迫的な点はなかつたこと、しかし中西が口にした言葉のなかに支払つてもらえなければ裁判沙汰にしてでも取るつもりであるという意味の言葉もあつたこと、その結果数日後に現金一八〇万円を竜方が支払つたことなどの各事実を認めることができる。
しかし、この点について被告人中西が当公判廷で弁解するところによると、同被告人は右のとおり自分が世話をしていた女性を竜方にとられたからには小林から手を引き竜方に譲つてもよいが、ただすでに小林にかなりの資金を注ぎこみそれが現に小林において営業中のバー「泉」の権利として残つているのでその分についてだけは出資の肩代りを竜方にしてもらうため前記のとおり竜方に交渉したもので、もとより何ら受取る理由のない金銭を要求して喝取しようとしたわけでもないし、また交渉の範囲をこえて脅迫したようなこともないと述べ、また同被告人の弁護人らも、同被告人が右の事情を根拠として竜方から出資金の回収をすることが法律上も正当にできるかどうかは疑問であるが、世間には右のような場合には竜方が肩代りするという例は少なからずあるのが現実であり、そのためその交渉を中西が試みたことも、道義的には非難されてもやむを得ない行為ではあるが、それだけで直ちに恐喝となるものではなく、被告人の本件行為は全体として見るとまだ脅迫等による喝取行為の域に達していない、と主張している。
二、ところで、金員支払の要求に相手方が応じないからといつて、支払を強要するためその手段として、これと全く無関係な相手方の女性関係をもち出しこれを公表されたくなかつたら支払えと脅して支払に応じさせる行為が通常恐喝罪にあたることについては言うまでもない。しかし、そのように考えられるのは、妻以外の女性関係を公表することが通常人の名誉や家庭の平和を乱すという意味で恐喝罪にいう「害悪の告知」にあたるという単なる形式的、図式的理由だけによるのではない。それは、たとえば、何ら支払つてもらうべき理由のない金員を無理に支払わせるための手段として相手方の女性関係の公表をもち出すとか、あるいは金員の支払いを求められた相手方にもこれを直ちに支払うことには種々言分はあるという場合にそれらの言分を封じて専ら要求どおり支払わせるためにその手段として相手方の女性関係の公表をもち出すとかいう場合などの如く、要するに女性関係を公表すると告知する行為は具体的な事情のもとにおいては、理由のない金員の支払などという不法な目的と結びつき、そのためこれらの目的をも含めた行為を全体として観察するときそのような告知をする行為が実質的な違法性を備えていると考えられるからにほかならない。いわば告知内容が「害悪」を含んでいるかどうかという観点から考えられるのではなく、具体的な事情のもとにおいて、そのような内容のことを支払強要の手段として「告知すること」が刑法上実質的に違法な場合かどうかという観点から考えられるのである。そして相手方の女性関係が表沙汰になるかも知れないと告げることは、通常金員喝取のための実質的にも違法な手段とされることが多いであろう。しかし同じことを告げる場合であつても、支払を要求する者とその要求を受ける者との間に特殊な関係があるとか、或は支払を請求されている金員が特殊な性質をもつているとかいう事情があり、そのため、支払い請求をめぐつての交渉過程のなかで両者の間に女性関係の公表という言葉が出ても、両者の間の右の如き特殊な関係を基礎として考えるとその言葉をつかまえて直ちに刑法上恐喝と評価するほどの強い違法性のある場合とまでは言えないと考えられるときは、まだ喝取行為にはあてはまらないとするほかはない。両者の間に特殊な関係がある場合には、交渉過程中で出た言葉の内容を単に形式的に把え喝取行為にあたるかどうかを決めることなく、具体的な事情のもとにおいてそのような言動に出ることがどの程度実質的に違法かを見定めることが特に重要である。
そこで、以下本件において、被告人中西と被害者竜方との間の具体的事情について検討する。
(1) 本件は被告人中西が資金を出して世話していた女性を竜方がとつたということに端を発し、第一のパトロンである中西が同女から手をひき、竜方が新しく第二のパトロンとなることを認める代りにすでに中西が出資した金員を竜方が肩代りして払つてくれるよう求めたものである。すなわち、被告人中西、相被告人小林の当公判廷における供述等によると、中西が小林を世話する関係は昭和三八年頃、すなわち本件公訴事実の二年以上も前から続いていたのであり、その間中西は同女を札幌市内の自己所有のアパートに住ませ月々手当を与えたほか、さらに、同三九年には約一〇〇万円を開業資金として同女に出してやり(貸したものか、贈与したものかは別としても)、同女にバーの経営をさせるなどして来ていた。ところが同四一年二月頃竜方と小林とが中西を差しおいて親しく外泊する関係になつていることを知り、そのため中西としては小林から手を引き竜方が新しいパトロンとなることにあえて文句を言わないが、その代り、小林が営業中のバーに営業資金などとして出した分だけについては、これがバーの権利などとして現に財産的な価値ある形で残つているので、新パトロンとなる機会に竜方に肩代りして清算してもらいたいと考え、その交渉として公訴事実にある如く一八〇万円の支払を要求したことが認められる。この点について竜方は、当公判廷においては、右一八〇万円が右の如き肩代りの趣旨とは知らなかつたと述べているが、しかし、同人は一八〇万円を交付して中西から領収証を受け取つた直後これを小林に手渡し、今後中西とは手が切れた云々と言つて自分が新しくパトロンとなつたことを当然の前提としてのべている事実が認められ、また以後中西と小林との関係は現実に切れ、代つて竜方が小林のパトロンとして振舞う関係が生じていつた客観的な事実も認められるのであつて、これらによると右の中西と竜方との交渉の経過において一八〇万円はパトロンの交代に件う肩代りの趣旨であることが竜方にも理解されている状況にあつたと認められる(尤も肩代りすべき金額が少なくとも一八〇万円を超える金額であるかどうかには疑問もあり、これより少額ではなかつたかとも思われる。しかし、それが少なくとも一八〇万円の大部分を占めていることも否定できず、結局金額の正確性は別としても、右は全体としてみると肩代りの趣旨で請求されたことは十分認められる。)。
(2) 中西からの金員の支払い請求の基礎に右のような事情が存する以上、中西が竜方に対して肩代り支払いを求めようとするとどうしても竜方が中西の二号にあたる小林と温泉に泊つたという関係の事実をもち出さざるを得ないし、持ち出すことが直ちに不当とも言えない事情があると言わなければならない。したがつて、竜方の女性関係を、そのことが何ら金員の支払い請求原因とは関係がないのにもち出して、専ら支払い強要の手段に利用したという場合とは本件はかなり事情が違うのである。
(3) 次に竜方の証言によると、同人が小林邦子と外泊したり資金を出してやつたりするようになつた頃、竜方においても同女にはパトロンとして中西が居ること、したがつて同女のそれまでのバー経営上の資金が中西から出ていることは十分知っていたことが認められる。
そうだとすると、竜方が小林との間で特殊な関係を結ぶと将来中西との間で本件の如き事態を招くことになるかも知れないとは十分予測できる状態にあつたのであるから、それにもかかわらず竜方が求めて同女と特殊な関係をもつに至つた腹の中には、将来中西から金銭上の要求を受ければ相応のものは支払い肩代りしてでも小林のパトロンになりたいとの気持を竜方が懐いていたためではないかとも思われる。
このことはその後小林が竜方から離れてゆこうとしはじめた頃にも同人が中西の名をかたつて同女に電話をするなどして、未練が断ち切れない状況にあつたこととも共通しているところである。
(4) 被告人中西と竜方との関係が中間に小林邦子をはさんで以上のとおりであつた具体的事情のもとにおいて、被告人中西が小林のパトロンとして出資した分のうちバー「泉」についての権利として残つている範囲のものについて、これを実際上竜方に引き継いでもらいたいとして一八〇万円の支払方を交渉し、その際竜方と小林との関係をもち出すことは直ちに違法と言うべきかどうか。まず、右のような請求自体許されるかどうか。中西の請求について法律上の積極的な保護を与えることには疑問がある。しかし、逆に中西の立場にある者が竜方の立場にある者に対して支払いを求め、同人が何らかの形式によつてこれを任意支払うということは世間にはあり得べき事柄であつて、そのような趣旨の請求、そのような趣旨の金銭の授受を直ちに刑法上違法とまで言うことでできないであろう。中西が小林に資金を出してやっていたのに小林が竜方と親しくなり、結局出した資金が無駄になつたとしてもその回収をはかつてやるべき必要もないと同時に、他人の世話を受けている女性と知りつつ、関係を結んだ竜方に対してだけ中西から資金の肩代り請求に応じなくてもよいように保護してやるべき理由もないと思われる。共に保護するに値しない汚れた関係であつて、原則として両名の任意の交渉にまかしておいて差支なく、ただ交渉とは別にその手段において独立の違法視すべき事情を生じた場合にのみその限度で刑法的な評価をすれば足りる。それなら次に右の請求にあたり中西が竜方と小林との関係をもち出したことはその手段において直ちに違法と言うべき状態にあると言えるか。かりに中西から竜方に対する一八〇万円の請求が、請求の趣旨や原因を説明するについて竜方と小林との関係をもち出す必要の全くない、すなわちこれと無関係な内容の請求である場合なのにあえて竜方の女性関係を持ち出しこれを支払強要の手段としたというのであれば、あるいは直ちに違法としてもよいことが多いであろう。しかしこれと異なり、その請求がそもそも竜方と小林との関係を生じたことに起因しており、右の事情を強調することが中西の側からみれば請求を理由あらしめる基礎にもなると見える本件の如き事情のある場合においては、中西が右の請求を理由ありそうにもちかけるのに通常必要な程度の範囲内において、竜方と小林との関係をもち出すこと、そして場合によつては表沙汰になるかも知れない等の意味のことを述べたとしてもそのことが直ちに恐喝になるとは言い切れないものが残ると考える。前記のような具体的事情のもとにおいて、中西が竜方に右の肩代り支払いの交渉をすることは望ましいか望ましくないかは別として刑法上直ちに違法視されるまでの行為ではないと考える以上、これに通常伴う程度の理由説明として中西が竜方と小林との関係に言及するのはそもそも直ちに違法とまではされない交渉の範囲内に含まれていると考えねばならない。本件のような特殊な関係にある中西と竜方との間の交渉に際して、中西が少しでも竜方と小林との関係にふれこれが公表されることになつてゆくかも知れないとの心配を竜方に懐かせる言動があればただそのことだけで、かりに交渉は平静に行なわれていても、すべて恐喝になるとまで言うことができるだろうか。やはりそうではなく、右のような内容の言動が交渉の中で占める意味、すなわち他の語調、態度、交渉の時間、周囲の状況などと合わせ全体として観察した場合に「交渉」といいうる範囲をこえ相手方を畏怖させてその承諾を強要するという実体に達していると認められる場合にはじめて恐喝と言いうるとすべきではないか。それなら、本件について交渉の範囲をこえたと認めさせるべき状況が認められるかというのにそのような事情は到底認め難い。中西が竜方と面会したのはいずれも単独で二回だけであるが、いずれも竜方の指定したバーにおいてであつて起訴状にある如く呼び出したわけではなく、また右の交渉にあたり中西が大声をあげるとか、公訴事実記載の文言以外に脅迫的な文言を用いあるいは荒い気勢を示したというような事情はなく終始静かに話していたこと、したがつて起訴状にある如く気勢をあげたりあるいは威圧的なところはなかつたことは竜方の証言自身によつても明らかであり、同被告人が当公判廷でどちらかと言うとボソボソとした口調で話している様子からもその場の様子がよく推察されるところである。ただ、同被告人が「払わなければ裁判してでもとる。」とか「表沙汰にする。」という意味のことを言つたくだりには、確かに穏当を欠くものがあることは否定できないが、しかし、かかる言棄の一語一語にあまり拘泥しすぎることは相当ではない。
やはり、右の言棄をも含めその場の交渉の様子を全体として観察し評価するべきものであるが、そのような観点からみると、中西が女性関係を種にして竜方を畏怖させその威圧のもとに金員の支出をさせてとまではまだ考えることはできない状況であると思われる。
(5) 尤も、竜方の支払つた金額が一八〇万円もの高額であるところから、やはり畏怖したからとの疑念をさしはさむ向きがあるかも知れない。しかし、竜方の証言、小林の当公判廷での供述等によると、同人は小林邦子のために惜し気もなく合算千数百万円の大金をつぎこんでいることが認められるのであつて、それはすべて竜方において小林を自分の世話する女としてその関心をつなぎとめておきたいとの一心によるのであり、一八〇万円という右の金額は、右総額からみるとほんの一部にすぎない。そのような心境になつてしまつている竜方にとつて、一八〇万円を払つてもこれによつて小林が中西から切れることになればよいとの気持が大きかつたとしてもあながち不自然とは言えないだろう。もとより小林との関係が公表されては困るとの心配は常に竜方の心の底に存したであろうが、それは竜方がそのような関係をもつたときから生じているのであつて中西に脅かされて新たに生じたというものではない。むしろ実体は、中西との交渉の過程を通じて、竜方にとつては、一八〇万円を支払うことの不利と、逆に一八〇万円を払つても事柄が公表されず且つ小林を自分だけの女としてひきとめておくことができることのいずれを選択すべきかを任意計算し、同人は自らの計算の結果一八〇万円と引きかえに小林を自己のもとにつなぎとめる途を選択したという程度に止まつていると見える。
(6) そうだとすると、本件は一人の女性を中にはさんだ二人の男性間で汚れた交渉をし、一方が金銭を得、他方が代りにパトロンの地位を得たという程度のことであつて、一方が他方を脅迫し畏怖させて金員を取得した一方的な場合とまでは認められない。結局喝取行為の証明が十分でないことになるので刑訴法三三六条後段により無罪の言渡をすべきものである。
そこで、主文のとおり判決する。
(秋山規雄)